2018年05月08日
プロフィール(その4)
最初の就職のことを書きましたが、最初の会社を辞めるまでに結婚と第一子誕生がありました。これを書いていませんでした。
かみさんとは高校のときに一緒の部活動で、そこから付き合いだして、一度喧嘩して別れたことがありましたが、よりを戻して、就職をした年の11月に結婚しました。結婚するまでは会社の独身寮に住んでいましたが、結婚と同時に実家に両親と同居することになりました。かみさんは歯科医院で歯科衛生士をしていたので当面は共働きでした。
長女は翌年の8月に生まれました。
その翌年には転職を考えていたので、よくかみさんが了解したものだと思います。
最初の会社は12月末で退職して、よく1月はゆっくりしようと無職ですこし旅行をしたりしていました。次の会社には1月半ばに出社しました。なかなかそんな転職をする人もいないと思うのですが、休みたかったというのがその時の心境でした。
次の会社は静岡市にある医薬品原料製造会社でした。バルクと言われる医薬品の原料を製造して、それを納めると製薬会社がそれを使って錠剤などを作るということで、無水カフェインとかアセトアミノフェンといった医薬品に多く使われる汎用的に製品を多く作っていました。その会社では研究職ということで、新規の医薬品原料を他の会社と協力して合成して、その効能を調べ、うまくいけば大量生産するということでした。自分が担当したのはツバメの巣を原料として多糖類を分離し、そこにある官能基をつけて生理活性性を見るというものでした。
大学と大学院で化合物合成実験はやっていたもの、どちらかと言うと大学では反応を研究していたので、なかなか実験がうまくいかなかったです。合成反応はうまく行っても、そこからターゲットの物質を単離するのは結構難しくて、液体クロマトグラフィーなどを使って分離してました。これがまたなかなか難しい。そもそもどのくらい時間をかければターゲットの物質が出てくるのかわからない。夕方セットして一晩動かして、その沢山の試験管を翌日チェックして物質が入っているのかをチェックするなんてことを毎日していました。
そのころ、花粉症の症状が出始めていて、研究室でこもって仕事をするのに、鼻水と闘うなどストレスとも戦っている状況でした。そんな状況でまた自分が転職欲望が出てきて、結局年末には転職してしまいました。なんか、地道に実験やっていて残念ながら成果が実感できなかったのが気持ち的に持たなかったということです。
次の会社はフィールドを代えて、コンピュータシステムの開発会社に移ることとなりました。
ではまた。
かみさんとは高校のときに一緒の部活動で、そこから付き合いだして、一度喧嘩して別れたことがありましたが、よりを戻して、就職をした年の11月に結婚しました。結婚するまでは会社の独身寮に住んでいましたが、結婚と同時に実家に両親と同居することになりました。かみさんは歯科医院で歯科衛生士をしていたので当面は共働きでした。
長女は翌年の8月に生まれました。
その翌年には転職を考えていたので、よくかみさんが了解したものだと思います。
最初の会社は12月末で退職して、よく1月はゆっくりしようと無職ですこし旅行をしたりしていました。次の会社には1月半ばに出社しました。なかなかそんな転職をする人もいないと思うのですが、休みたかったというのがその時の心境でした。
次の会社は静岡市にある医薬品原料製造会社でした。バルクと言われる医薬品の原料を製造して、それを納めると製薬会社がそれを使って錠剤などを作るということで、無水カフェインとかアセトアミノフェンといった医薬品に多く使われる汎用的に製品を多く作っていました。その会社では研究職ということで、新規の医薬品原料を他の会社と協力して合成して、その効能を調べ、うまくいけば大量生産するということでした。自分が担当したのはツバメの巣を原料として多糖類を分離し、そこにある官能基をつけて生理活性性を見るというものでした。
大学と大学院で化合物合成実験はやっていたもの、どちらかと言うと大学では反応を研究していたので、なかなか実験がうまくいかなかったです。合成反応はうまく行っても、そこからターゲットの物質を単離するのは結構難しくて、液体クロマトグラフィーなどを使って分離してました。これがまたなかなか難しい。そもそもどのくらい時間をかければターゲットの物質が出てくるのかわからない。夕方セットして一晩動かして、その沢山の試験管を翌日チェックして物質が入っているのかをチェックするなんてことを毎日していました。
そのころ、花粉症の症状が出始めていて、研究室でこもって仕事をするのに、鼻水と闘うなどストレスとも戦っている状況でした。そんな状況でまた自分が転職欲望が出てきて、結局年末には転職してしまいました。なんか、地道に実験やっていて残念ながら成果が実感できなかったのが気持ち的に持たなかったということです。
次の会社はフィールドを代えて、コンピュータシステムの開発会社に移ることとなりました。
ではまた。